岡山城は、宇喜多直家が金光宗高を謀殺して1573年に入城した石山城が発端で、直家の後を継いだ宇喜多秀家が1590
年から1597年までかけて大改修を実施して、現在の城郭の基礎を作りました。黒塗りの板で覆われた姿から、烏城とも呼ば
れています。安土城がモデルとも言われています。
1600年の関ヶ原の合戦を契機に宇喜多秀家が八丈島に流刑となった後、小早川秀秋、次いで池田忠継が入り(1603年)、
明治維新まで池田家の居城となりました。現在の城郭の姿は、忠継の後を継いだ2代目・忠雄の頃のことです。
天守閣は、1945年6月に空襲で焼失してしまいました。現在の天守閣は1966年に再建されたものです。
(2004年1月12日撮影) |