二条城

 二条城は、1603年に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として造営し、1626年に徳川家光が後水尾天皇
を迎えるために大改修を行い、ほぼ今の状態を完成させました。桃山文化の名残を多く残しています。世界文化遺産に指定
されています。
○二の丸御殿      

唐門を入り

二の丸御殿(車寄せ)

大政奉還もこの御殿で
 
 
二の丸庭園は小掘遠州の作

非常に凝った造り

国の特別名勝です

 まずは二の丸御殿桃山時代の武家風書院造りの代表的なもので、国宝に指定されています。御殿の大広間が、1867年
に徳川幕府15代将軍・慶喜が大政奉還を発表した場所です。車寄せから入っていくと、遠侍
の間、式台の間、大広間、蘇鉄
の間、黒書院、白書院
の6棟が並んでいます。部屋数33、敷かれた畳は800畳余りという広大さです。
 二の丸御殿前に広がるのが二の丸庭園
。江戸時代の名庭師・小掘遠州が作庭した池泉回遊式庭園で、大広間から眺めら
れるよう造られたものです。池には蓬莱島・鶴島・亀島の三島を置いて橋を架け、滝や様々な岩を配してあります。

○本丸御殿      

本丸はさすがに城の造り

東橋・本丸櫓から入ります

その前に桃山門もくぐります

民家のような本丸御殿

庭から見た本丸御殿

東橋の反対は西橋

天守閣址
 

 

 
 本丸御殿は、創建当時は二の丸御殿に匹敵するような規模・豪華さだったようですが、
1788年に焼失してしまいました。その後、幕末に一度は徳川慶喜の住居として御殿が建て
られましたが1881年に撤去されました。現在の建物は、1893〜94年に京都御所にあった
旧桂宮邸の御殿を移築したものです。

 本丸には、かつては伏見城の五層の天守が移築されていましたが、1750年に落雷で
焼失しました。

○その他城内      

和楽庵と清流園庭園

香雲亭と清流園庭園

 清流園は、本丸北東側にあります。現在の形になった
のは、1965年です。


北大手門

東大手門

外堀から見る東南隅櫓

こう見えても市街地の中
       
○夜の二条城

東南隅櫓

東南隅櫓・東大手門

東大手門
 

 

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