和歌山城は、紀州を平定した豊臣秀吉が1585年に弟の秀長に命じて虎伏山に築城させたもの。築城自体は、藤堂高虎ら
が担当しています。その後、秀長の城代として桑山重晴が入り、関ヶ原の合戦後は浅野幸長が入城し、城郭の拡張などを
行いました。
1619年からは、徳川家康の第10子・頼宣が入城し、55万5千石の紀州徳川家による治世が始まりました。紀州徳川家と
いえば御三家のひとつで、8代将軍吉宗を世に送り出しました。
1846年に落雷で天守閣が焼失し、1850年に再建されたのですが、1945年7月に空襲で焼失しました。現在の姿は1958年
に再建されたものです。空襲前は国宝に指定されていただけに少し残念ですが、名残りは十分残っています。 |