太宰府界隈の古を巡る

○大宰府政庁跡
 大宰府政庁は、7世紀頃から平安時代にかけて、朝廷の九州の
統治拠点、日本の西の防衛拠点、外国との交流窓口として機能
してきました。今も芝生公園の中に記念碑と礎石が見られます。
桜の名所でもあります。
 日本書紀では、536年に那の津(現在の博多)に宮家が置かれ、
593年には筑紫将軍、607年には筑紫大宰の記述があり、671年に
筑紫大宰府の記述があるそうです。
○観世音寺・戒壇院

観世音寺

これは講堂(本堂)

歴史と風格

金堂(阿弥陀堂)

碾磑(天平石臼)

五重塔の心礎

国宝の梵鐘

流れる平和な時
 観世音寺は、斉明天皇追悼のために天智天皇の発願で建てられた古刹で、661年創建とも奈良
時代に完成とも云われています。『源氏物語』にも登場しています。かつては大寺だったようですが、
現在は金堂(1633年再建)と講堂(1688年)が残っています。往時を忍ばせるものとして、日本最古
の梵鐘(国宝)や、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像(全て重要文化財)が残っています。
 戒壇院は、761年に鑑真によって観世音寺に置かれました。
戒壇(正式な僧尼になるために、守るべき戒律を授ける所)は奈良
東大寺より西ではここしかなかったそうです。現在は単独の禅寺
です。
○水城

現在はうっそうとした森

写真の右側には堀があった
 水城は、天智天皇が664年に築かせた土塁。663年の白村江の
戦で唐・新羅連合軍に大敗しており、大宰府に攻め込まれるのを
防ぐために建設されたと云われています。高さ10メートル以上、
幅80メートル、長さ1.2キロあります。
○大野城跡
<太宰府口城門の近くから>

通路っぽいのが土塁の一部

宝満山

太宰府市街を一望

天満宮や九博など
 大野城は、水城建設の翌年となる665年に、基肄(きい)城などとともに築かれたと云われる古代の
山城です。大宰府政庁の北にそびえる四王寺山(標高410メートル)に遺構が残っています(城の
エリアとされる地域の大半は、糟屋郡宇美町となります)。

 

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