吉野山(吉野郡吉野町)

源義経や後醍醐天皇が身を寄せ、豊臣秀吉が花見したという「吉野」の風景です。

○吉野の入口
 吉野の玄関口(下千本)で出迎えてくれるのが「黒門」(左)
と「銅(かね)の鳥居」(右)。
 黒門は、金峯山寺(きんぷせんじ)の総門としての役割を果
たすべき門なのだとか。
 銅の鳥居は、日本三鳥居の1つで、東大寺の大仏を作った
ときに余った銅で作られたものなのだそうです。
○金峯山寺蔵王堂
 金峯山寺本堂蔵王堂は、白鳳年間(今から1300年以上前)
に創建されたと伝えられ、平安時代に蔵王権現像が安置され
たといわれています。重層入母屋造、桧皮(ひわだ)葺という
構えで、棟の高さ34メートルは東大寺の大仏殿に次ぐ大きさ
の木造建築物です。もちろん国宝。
 過去には、972年を皮切りに、南北朝の騒乱(1348年)など、
1586年まで6回にもわたって焼失したそうですが、1591年に
豊臣秀吉・秀頼により再建されています。
○吉水神社書院
静かな書院と庭 入るなり狩野派の作 源義経潜居之間 後醍醐天皇玉座の間
豊臣秀吉が所有した金屏風  元は吉水院と呼ばれた吉水神社は、現在は後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信を祀って
います。この隣にある書院は日本最古の書院造といわれ、重要文化財に指定されています。
 ここは歴史の様々な舞台になった場所。まず、源平合戦後、兄・源頼朝に追われた源義経
が静御前と別れ、弁慶とともに潜んだ場所。その後、今度は南北朝の騒乱で後醍醐天皇が
足利氏から逃れてきた場所(ここには玉座の間があります)。そして、豊臣秀吉が諸大名を集
めて花見を行った場所(このときに玉座の間が修復されたのだそうです)。
 書院は200円で見ることができますが、義経や弁慶が使った武具、後醍醐天皇や一休さん
の書など、貴重な歴史の品がずらり。
○吉野水分神社(みくまりじんじゃ)
   水を司る天之水分(あめのみくまり)大神などを祀る神社。とともに、"みくまりが"御子守"
(みこもり)となまって子宝の神様としても信仰を集めているのだそうです。豊臣秀吉が嫡子
秀頼に恵まれたのもここに祈願したからだと伝えられているそうです。それもあるからか、
社殿は豊臣秀頼が再建したものだそうです
○吉野千本桜 (撮影日:2002年4月6日)
<下千本>      

七曲から

金峯山寺仁王門

 2002年はかつてないほど桜の開花が早く、近畿でも大阪な
どでは3月末には満開になり、4月に入ると散り始め。
 いつもなら山里ということもあって開花は遅めの吉野山も、
今年はいつもより1〜2週間開花が早かったらしく、吉野山の
ふもとに近い下千本は4月上旬で桜も見頃を過ぎていました。
山桜が多いから葉が目立つということもあるんですけどね。

<中千本>      

旅館立ち並ぶ中千本界隈

この辺りも散り始め

中千本から上千本を

晴れていればなお良いかと
   下千本から続く道を進んでいくと、中千本に到着。五郎兵衛茶屋や吉水神社などには沢山
の花見客が出ていました。中千本からは、吉野山の山頂付近の上千本が見えます。山全体
で35,000本あるといわれる桜(山桜が多い)に覆われた頂上辺りは、ここから眺めても圧巻で
す。ただ、ここから見る上千本はかなり遠く感じられるためか、ここで引き返す人も多いです。
 この日は夕方には雨の予報が出ていたこともあって、空模様が少し怪しくなってきていまし
た。晴れの日なら日光を浴びて光り輝く桜を堪能できるはず。
<上千本>      

眼下に桜

標高も600メートル以上

遠くには金剛山や葛城山

中千本が下界に感じられます
   中千本から急な坂道を延々と登り、ようやく上千本に到着。結構遠かった・・・。
 上千本は吉野山の頂上付近になるので、見晴らしは爽快そのもの。点在する展望所や吉野
水分(みくまり)神社に至る坂道からは中千本など裾野に広がる桜や、(場所によっては)遠く
葛城山の辺りまで見通せます。

 上千本からさらに進んで吉野・高城山の裏手に出ると奥千本にたどり着きます。ここも桜の
名所なのですが、今回は断念。近鉄吉野駅から上千本まで登るだけでも結構な距離ですが、
奥千本となるとやはり遠い・・・。中千本から奥千本行きバスが出ているので、それで行くのも
良いでしょう。

 

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